昭和45年4月24日 夜の御理解  ★



 昨日、御祈念前に豊美達が無事に、到着のおかげを頂いたということを神様にお礼を申させて頂いて、まあこの度は何日間もここで大変なお世話にならせて頂いて、えー、沢山なまたお金を使わせて頂いて、いわゆるたくさんな散財をさせましたことを神様にお詫びをしたりお礼を申させて頂いておりましたら、今、上野さんがご本部から頂いて来ておったご本の表紙に、あのう、これはお菓子屋の包装紙だと思うんですけれど、それが本のすれんようにちょっとこう上にしてある。それにあの、★天地清風、天地、清い風という、書いてあるが、その、これを頂くんですね。
 本当にあのう、これは私の例えば財とかお金で、娘達が来たから、あー、もてなすとかお金を使うとか、とにかく神様の御物であり、また神様の御財であり、お金を、いわゆる沢山使わせて頂いたのですから、いわゆる散財をさせましてということをですけれども、えー、まあ頂きます天地清風ということは、今、お電話、電話の口でも、ただ今、あのう、こちらから頂いてまいりましたそれぞれのお土産をいっぱいこう、おー、まあ、言うならおじいちゃんの部屋まで持ち込んで、えー、これがおばあちゃんこれがおじいちゃんと言うて、そのう、しておる、その、様子のことだろうとこう思うんですよね。
 本当にこのう、天地清風、天地の中に、いわゆるその清い風が巻き起こるほどしのおかげ、それを私は最近、とにかく和賀心時代と、いうその、和賀心の、おー、ということをひとつの願いにして、えー、おかげを頂いておるというようなことも天地清風ということにつながりましょう、また、こうやって里からこんなに沢山のお土産を頂いて、というて一家中がこう睦び喜び合っておるといったようなことも天地清風ということである。
 おー、合楽の大坪の家から貰うて来たといったようなものじゃなくて、ここの、言わば神様からのお下がりを頂いて帰ったといったような意味において、頂いておるところにこの天地清風ということを頂いたんじゃないかというふうに思ったんですけどもね、私ができるといったようなことはない。それもやはり、根本となるものは、結局、和賀心、ね。
 おかげを、ね、だんだん頂いてきて、本気でね、天地が清い風に満ち溢れるようなおかげを願いとし、またそういう、うー、おかげの頂けれるもとをとらせて頂かなければならない、お道の信心者の自覚。とりわけ合楽の信奉者の自覚といったようなものね、そのような些細な事柄の中からでも感じることができます。天地清風、どうぞ、相愛という意味ですね、全ての事が。どうぞ。



明渡真